チェリオの部屋

■手先があまり器用と言えない幼少期を過ごした。
中国で、日本食レストランに居候中、和食を作り「こんなまずいのは初めて」と言われ、ちょっとばかり努力をしてみた。
物つくりの第一歩はそこから始まったのかもしれない。そして、一歩ずつであるが動き始めた、、、

       
チェリオ 海の漂流物でウエルカム
四方を海に囲まれ、まして、北を見れば朝鮮半島、西を見渡せば大陸の山東半島と我々の故郷・長崎県の壱岐の島は古くから外国との交流が盛んなところでした。
今では、ハングル文字や中国語、それに遥か彼方と思われるベトナム語表記の漂着物が島の海岸に流れ着いています。
そこで、「清掃することによって奉仕精神を身に付け自己啓発を促し、「漂流物・流木から貝殻やシーグラスで物つくりを」行っています。
      アジアン雑貨
そもそも10年前に外国にショルダー・バッグ片手に旅に出て、その後日本食レストランへ居候。いつの間にか日本語教師へ。そして、台湾華僑系の商社や日系の大手の物流会社の営業マンとして働いたりと波乱万丈の生活を送って来ました。

数々の出会いの中で培ってきたものをいつかこの世に還元できればと思っておりますので、何卒ご支援、ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

和の空間
店内の様子です。亡き父が残してくれた書や絵が飾られています。
       
48頭の馬
第2次世界大戦中には中学生ながら北京で貧しい中でのひとり暮らし。
戦後、田舎に帰りバーのマスターへ。三度の飯より喧嘩が好きだったが、、、
やがて、文化の道を歩き始めた父の48年間の人生を馬に例えたものらしい。
       
 魔法のミシンではない?
洋裁店を経営していた母が使っていたミシン。どうやら、このミシンを使えば
いろんなものが意図も簡単に出来るらしい。と、、、
いや、そんなことはないだろう。母はちなみに一級洋裁師です。

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