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壱岐の歴史・よもやま話を紹介したページです。

一支国的歴史・竜宮伝説


壱岐の歴史・東亜細亜世界と一支国・原の辻遺跡③
精神文化の交流
原の辻出土龍線刻土器

龍の生態…冬は土の中で伏龍→春に稲妻とともに昇龍になる。

原の辻出土土器…龍の生態についても理解して、図が描かれている。
→物質文化だけでなく、精神文化にも東アジアに影響を及ぼしているとの見方がある。
→東亜細亜の文化の十字路の口として様々な文化をその後日本本土へ
発信

龍は架空のものであるが、精神社会で中国から日本、東南アジアに伝わったものでそれらの諸国とのつながりも深い。

もっともなじみ深いのが中国では「龙船比赛」、「龙」は「龍」の簡体字で、「比赛」は「レース」で、「龙船比赛」は「ドラゴン・ボート・レース」の事である。

長崎では「ぺーロン」、沖縄の「ハーリー祭り」、タイでは「スワン・ボート」、中国の華南地方をはじめ、雲南省のタイ族自治州、香港、シンガポール等で行われています。

ここ長崎県・壱岐の島の勝本でも「勝本ペーロン競漕」が毎年行われています。



「ドラゴンボート・レース」「龙船比赛」「ペーロン」の歴史についてですが、
西暦紀元前300年頃、中国の時は戦国時代、楚の国の宰相屈原は
湖南地方で湖南地方で楚の懐王を助けて善政を引いたものの、讒言に
より懐王政界を降ろされ、のちに秦の軍勢に捕えれ捕えれ客死しました。

その後の政治腐敗や楚の国運を嘆き屈原は入水自殺をしました。
憂国の政治家であり詩人でもあった屈原を慕う漁民達が数十隻もの小舟を出して遺体を捜しました。

以来、毎年旧暦5月5日(屈原の命日)に屈原を偲ぶ「龙船比赛」が開催されるようになったのがドラゴンボートの始まりで、中国南部を中心に、各地で受け継がれてきました。

タイのドラゴンボートレース

また、「望子成龙」と言う中国の成語がありますが、これは「孟母三迁 望子成龙」から来たもので、「孟母三迁(孟母三遷)」とは戦国時代の中国の有名な儒学者・孟子の母が息子の孟子の教育のため、環境のよいところを
求めて三度引っ越したと言う故事で、教育熱心で且つ経済成長の著しい中国では、子供の出世のためにはいかなる犠牲も惜しまない、子供の出世を願う意味で「望子成龙」と解いたものとされる。

お隣の国・韓国では母親が北米に留学しているご子息の為に旦那さんを
母国に残して渡米するケースが多いと聞くが、これもまた儒学思想の強い
お国柄ではないのだろうかとふと思った。

いずれにせよ、どの親も子供の成長は楽しみなもので、精神社会の思想で「龍」の存在はそれだけ大きな意味を持つものであろう。

ちなみに、香港の大スター・ジャッキーチェーンの華語の名前が「成龍(成龙)」と言い、中国人や華人、華僑の間では男性で「龍」や「竜」の名前は
縁起のいいものとされ、また、女性では「玉」がそうで、「玉」の意味は「玉(たま)」以外に、「真っ白で美しい」の意味で、中国でも矢張り女性らしい「玉」の様にかわいらしい人が好まれる。

「龍」一文字でいろんな文化の繋がりがある。




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